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「修行」とは、どの様なものなのか?

あらゆる「修行法」とは「技術」です。

よくドキュメンタリー等で《◯◯で養った「技術」が、後々に活きる事になる》という表現がありますが、「人」とは本来「心身」において「得意」なことが有れば、「苦手」なこともある、「大変、偏った生き物」なのです。「修行」の本質とは、その「人」それぞれに持つ「苦手」で「凹んだ」部分を「補い」完成に近づける「補完」を第一義としています。

それを「技術的」に成せるのが「修行」なのです。

そして、どの「人」の「心」の中にも、影のような「陰」もあれば、日向のような「陽」もあります。「明るく」「元気」なだけでは「熟慮」が足りず「挫折」を呼び、「考えて」ばかりいて、ろくに行動に移せないようでは、折角与えられた「命」の「時間」は「無駄」になるばかりです。

私も、昔はかなり「偏り」のある人間であったのですが、このように「足りない」「両極」にある部分を「補う」ことにより、その「人」は「円満」になれるのです。

一般の方々は「修行」と言いますと「苦行」「難行」そして「荒行」を「連想」されると思いますが、実際には「日々のコツコツ」と「継続力」が最も「物を言います」。

私なぞは「仕事」ではあっても、1日に10時間に及ぶ「呼吸法」や「練功」をしているのですから、誰よりも強力であっても不思議は無いでしょう。それ程に「日々のコツコツ」とは「重要」なのです。要はそれをいかに「苦」にならない様に「継続」出来るのか?の「問題」であり。

その「コツ」とは、実際の《自分の「人生」に「活かす」》ことに尽きるのです。どの様な「技術」を「体得」したとしても、自分の人生において「活かさ」なければ「意味」は無いのです。逆に、自分の人生の「一場面」であってもその「体得」した「技術」が「活かされれば」、あなたは心底「良かったー!」と思えるでしょう。

「氣塾」で教える「技術」の「真髄」とは、自分の「人生」に「活かす」為のものであり、私はそこを最も「重要視」して、皆さんに「伝えよう」と思っています。

「氣塾」代表 木村丈彦

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「この世」の「現象化」の真実

さて、最近、弟子に教えていっている、物事の中で、「自己コントロール」。その中でも特に「自己制御」を教えていっているのですが、これがなかなかに「難しい!」

これが出来ないと、以前に言った「内三合」やら、いわゆる、物事の「現象化」「引き寄せ」「願望実現」これら全てにおいて「現象化」は、難しいと言っても過言ではありません。

で、その鍵を握るのが「自己制御」。その中の「自己抑制」と「自己増幅」が鍵です。
これは「魂の設計図」の「約束」にも大きく関わる物事になります。

この物事、究極は「両極端」に存在していて、その時々に応じて、その「両極端」を使い分ける必要があるのですが、例えば、一例を出しますと、、

大多数の物事、現象を大きく緩やかに動かすには「自己抑制」

少数の物事、現象に特化して鋭く動かすには「自己増幅」

この物事を、現実に動かす際に、まず、大きく、大多数の物事に対しては、「将棋の駒になって考えるのじゃ無くて、盤面を上から見る目を養いなさい」

と言っています。これは、組織など、多数の人間が絡んで物事が進む場合、情報や命令の伝達、進み方により、多数のシナリオが「可能性」として、進行していく訳で、その幾つかのシナリオの可能性を「感」により、読み取り、最善の策を一つ一つ、打つ必要があります。

この場合、操作する側は「個や我」を出す必要性は、無く、逆に「個や我」に抑制を掛けた方が、狙い通りの現象を生み出す確率は高くなります。
更には現場把握の為の情報を集める為には、「我」を出して言うよりも、聞く側にまわる方が、より、効率的に全ての理解が進み、掌握が可能になります。
掌握が出来れば、大多数に対しての、現象化は確実性を帯びて行きます。
「言うよりも、聞く側にまわれ!」って事ですね。

今度は、逆に、特定の人や物事に特化して現象を引き出したい場合、物事が特定しているのですから、ある意味「難儀」です。リアルに他の人を説得したり、変えたり、自分の周りに密接した、現象を変えて行く、これは、場合によっては、大多数の物事を「現象化」させるよりも、難事業だったりします。

これに、対しては、既に何度かこのブログでも言及しているとおり、「意を決めて、極端に(尖らせる!)」「これに、勝るものなし!」と言えます。

この(尖らせる)という事に対して「どの程度?」とか「どのくらい?」という質問を多々頂きますが、その答えは「他の選択肢を持たない程」っていうことです。周りを全て「崖」にする、とも言えます。

例えとしては、今月の生活費やカード、免許証全てが入った「お財布」を落とした場合、「ヤバイ!絶対に出てこないなんて、あり得ない!!」って心境になるでしょ?それです。そこまで瞬時に本気で思いを詰めたら、大概出てくるもので、まさに、「他の選択肢は、ナシ!」と言えますし、そこまでの思いで、他の人に当たる事が出来た時、思いが成就する確率は、飛躍的に高くなり、ミラクルを生む事さえ可能になります。

これらは、全て、スピードとタイミングのコントロールも必要となりますが、何より先に「意」から出る、現象化の要、「個と我」を「抑制したり増幅させたり」する事こそが重要で、このことを本当に理解出来て、実践出来るようになれると、あらゆる現象は、それに関わる人や人々の「精神力」のベクトルによって成り立っている事が理解できます。

《そう、 人の「精神力」のベクトルと力強さこそ、世の全ての「現象化」の鍵を握ります。》

多勢の人々のベクトルが、一つの方向に「束なった」時、緩やかでも、それは「流行り」や「時流」を生み出し、「現象化」を作り出していきます。
また、それが仮に、ひとりのベクトルであったとしても、それが「尖らせて」最も強力な意思の方向を示せた時に「現象化」は、かなりの高い確率で起こす事が出来るのです。

これらの事実は、マスターヨーガや内丹法に限らず、数千年前の古来から、その時代の挑戦者達によって、人生を掛けて、開発され続けてきた、本当の「帝王学」の一部です。 似たような形を持つものは、他の国にも必ず存在しています。

その時代の挑戦者が、限られた、たった80年か90年かの人の一生の寿命の間に、「いったい、どこ迄出来る事が可能なのか?」、時間と正面を向いて戦った「知恵の結晶」なのだと、思います。

これらの法則をあらゆる手法で体得してしまった人達は、はた目から見たら、目まぐるしいスピードて事をなし得て行くので「乗りに乗ってる!」とか「ラッキー!」みたいに「偶然的」に映るでしょうが、違うのです。

周りを全て「崖」にして、逃げ道を排除して、他の選択肢を無くし「やるしかない」状態をワザと作り出して、「一点突破の集中力」を作り出して、事に望む。

冷静にタイミングを計り「現象化」の中で「時間の流れ」に「圧縮」を掛けていく。

こうして、その人の背負う「約束」を名し得て行く。

《全ては「精神力」のたまもの》なんですよ!

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