「集団帰属欲」に従うな!の教え

「インド」や「中国」では古くから
《「民衆の心理」は「操っても」決して「従うな」》と言われます。

「インド」の「印僑」の教え「ジュガール」には
《「集団帰属欲」に「逆らいなさい」!!》という「教え」が有ります。
 
まあ、これらは「お師匠様」の「つたない日本語」「集団、皆んなに従って付いて行っては駄目なのよー!」というものを、後々私が適切な「日本語」に起こし直したものなのですが、難しく言えば

《「集団帰属欲」に従わず「独自性」を確保しなさい。》と言う事になります。

この様な「教え」は「インド哲学」「中国哲学」の「随所」に現れますから「根本原理の一つ」と呼べる重要なものだと言えます。何故なら「インドの総人口は13億人」共に「中国の総人口も13億人」。特に中国には「人民の海」と言う言葉がありますが、それ程の「莫大な人達」が居る訳ですから、

《古来から「民衆心理」「大衆心理」は「集まる 」事により「莫大な力」となる事が知られ、方やで何時も「政治」からも「恐れ」られて来たのです。》

「集団帰属欲」とは「何か?」というと「皆んなに従おう」「皆んなと一緒に居よう」「皆んなと同じ行動をしよう」とする「欲求」です。それは「集団に同化帰属」する事によって「自分の身と立ち位置」を「守ろう」とする「欲求」ですから、

《「集団帰属欲」とは「人が本能的」に持ち合わせているもの。》

だと言えると思います。よって「集団帰属欲」とは「集団心理」「大衆心理」も「同じような事」とも言える訳で、特に「生存本能」を「刺激」する一つとして考えられます。

《特に「日本」の「保守的な心理」とは異なり「インド」や「中国」においては「集団心理」とは決して「理性的」なものとは言えない「間違え易いもの」「恐ろしいもの」「過激なもの」として伝えられきたのです。》

「より良く成ろう」とする「修行」や「仕事」の「立場」からも「集団帰属欲」は「否定」されています。何故なら 「インド」にせよ「中国」にせよ「13億人」からの人が居るのですから、

《何かで「大成しよう!」とした場合、「13億人」に同化帰属した上で、そこから「人を掻き分けて」登ろうとするか、最初から全く違う「登り方」を選び、「千人万人に一人」の存在になるかは、当然「後者」の方が「より有利」になる訳で、「より賢い」と言われる「選択」になるのです。》

この「考え方」は温和で保守的、競争にあまり馴染みの無い「日本民族」と比べると、非常に顕著な差に表れると思われます。

《非常時には「パニック」に陥るよりも「従順になる》

現在の平穏な「日本」では、あまり語られる機会が少ない「集団帰属心理」や「集団心理」ですが、「13億」もの人口を誇る「インド」や「中国」においては、基本的には「恐るべきもの」として語られる場合が多いのです。例えば「社会的情勢不安」や「不満」から引き起こされる「暴動」「掠奪」等の「集団ヒステリー」は日本とは異なり、現在でも普通に「起こり得るもの」として「巻き込まれる事」による被害を誰もが「恐れ」ています。

《違う角度でもう一つ上げれば、「映画館」で起きる 「事件」や「事故」での「避難」です。》

近年相次ぐ西側諸国のテロ事件などにおいても、仮に「映画館」などで事件が起きた場合、「非常出口」は必ず「四方八方」に有る筈なのに、集団は先に誰かが集まった「一つの出口」に殺到してしまいます。

これにより「逃げ遅れて」しまう方々が大勢出てしまうのですが、これも「集団心理」ではあります。更に一つ知っておかれれば良いのが、  

《「映画やフィクション」で「非常時」における集団の「パニック状態」がよく描かれますが、実際には「ヒステリー」や「パニック」に陥ることは、実は「稀」なのです。》

《人が「危機」に見舞われた時、実際は「パニック」や「集団ヒステリー」になるよりも「従順になる」 方が遥かに多く、むしろ周囲に対して「従順」に なり過ぎて「手遅れ 」になる場合が多く、注意すべき点になる。》

ということなのです。つまり「集団ヒステリー」や「パニック」を「先導する人」は極一部であり、集団の大半は「従順」に「ただ従うだけ」の存在になり、「悪い結果」を招いてしまうことが多い、ということ だったのです。

でも、これは「非常時」や「危機」だけとは限りません。
「集団帰属心理」や「集団心理」の「怖さ」は、この「日本」においても、あらゆる「経済の一場面」でも日常的に起こっている事なのです。
では「経済面」においての「集団帰属欲」と「集団心理」を考えてみましょう!!


「インド」や「中国」では古くから

《「民衆の心理」を「操っても」決して「従うな」》と言われます。これは「経済面」において特に顕著です。

《「集団帰属意識」とは、ある「特定の集団」に対して、  「一体感」を持とうとする、人の「心理状態」を表して  います。》

これの「経済的な側面」を考察すると、人の「企業意識」もその最たるものとなります。「帰属意識」とは一体感の対象となる集団が「主観的に確認」されているものであれば良い訳で、対象が「企業」ともなれば、尚更日本人にとって  強力な一体的価値観は形成され易く、自主的にその「集団の目標」に適合する様に「自己啓発」を図り、その「集団の立場」に立って状況を把握し、その「集団の利益」になる様な行動をしようとする。そんな「自発的な態度」が自動的に形成されたりします。

また平成に数多く行われた「規制緩和」は、「既得権益」を崩す作用を持ち、「新規参入」を拡大させ「価格競争」を促進させ、それ自体は「消費者」に利益を大きくもたらしてくれるのですが、同時に「新規参入企業」に半ば流行的に群がる安易な思考の「労働者」を「激増させる」結果を招き ます。「介護職」や「美容師業界」はその典型で、これも「集団的な心理」の一面ではありますが、それにより既存業者、職種自体の価値が「極端に下がる」デメリットも多々存在しています。

「ジュガール」とは「インドの貿易商」である「印僑」に伝わる「教え」です。そこには、

《「集団帰属欲に逆らいなさい」!「集団に従うな」!》  と言う「教え」が古来から存在します。

《これは特に「経済面」において、短期的な「集団心理」に「合わせようとする意識」が「非常に危険」であり「間違い」であるケースが多く、長期的な観点で見ると 「集団心理の真逆」を行く方が「結果的に正解」になるケースが多いという「事実」に基づいています。》

これは「集団心理」が事「お金」に関しては、特に「臆病」であり、そこに「心理的不安」が生じると一気にネガティヴな方向に向かい、「大衆」が一方に「流れ込む」現象がいとも簡単に発生する場合があります。「投資や投機」においては速やかな「損切りタイミング」を「急ぐ心理」が「集団の力」になり、株価の下落を一気に加速させるのですが、

《これはあくまで「短期的」な視点であり、「長期的 」な視点となると「真逆の選択」を取る方が「遥かに有利」な ケースが多々あるのです。》

「経済」においての「理想的原則」とは「安く買い」「高く売る」ことにあります。「投資の神様」と呼ばれる「ウォーレン・バフェット氏」は「2002年」の講演でこう言っています。

《他人が「貧欲」になっているときは「警戒」しよう。他人が「警戒」しているときだけ「貧欲」になろう。》

これも「安く買い、高く売れ!」の原則に則していることなのですが、このバフェット氏の「アドバイス」も

《「集団」に流される「危険性」を指摘しており、「群集心理」を「避けよ」という「警告」でもあります。》

バフェット氏の投資理論は「ベンジャミン・グレアム氏」の理論をベースにしていると言われます。それは

《「株式が企業の一部である」このことを意識し、市場の状況に「惑わされず」「安全余裕率」を忘れない事こそが重要な要素だ。》

「安全余裕率」とは「力」の持つ「ゆとり」によりもたらせ られます。「ゆとり」を持たない「群集心理」こそ「危険」なものなのです。それは「皆に合わせておけば間違いは無い」という「あなた」の日常的な「心理」なのです。

さて、ここまで簡単にではありますが「集団帰属欲」「集団心理」「群集心理」の「危険さ」について、「非常時」や「経済面」においての現象のいくつかを例に考察してきましたが、それは決して「特殊」な例だけではなく、「あなた」がついつい「日常的」に 思ってしまう《皆に合わせておけば、間違いは無い》  《皆に合わせておけば大丈夫》という「安置な思考」が「いざという時」に「大間違い」を引き起こす可能性が大きいという事への「警鐘」なのです。

何故なら、とかく「集団心理」や「大衆心理」とは、「非常時」や「経済面」において警戒すべき「特別」な事が起きると「臆病」になりやすく「直近の足元」の物事しか見えなくなってしまいます。それが主に人を「保守保身的」な行動に走らせる要因となります。

《でも「力」や「精神」に「ゆとり」の持つ「強い人」は、それをもっと「大局」「大きな時間的スパン」で「俯瞰」して見ることにより、最終的に「大衆の真逆」の「選択」をする事により、大きな「成功、利益」を掴んでいるのです。》

つまり、これが《「帰属意識」に従わない「独自性の確保」に繋がる行ない。》となるのです。

《そしてこれこそが「太極理論」そのものでもあります》

南宋の「朱熹」は「太極は天地万物の根拠の理である」と言いました。「この世」のあらゆる物事は「陰陽」の「太極の要素」により「構成」されています。「火と水」「男と女」「動物と植物」「夏と冬」「剛と柔」「光と闇」全てがそうです。

《これらは「相反しつつ」も一方が存在しなければ、もう一方も存在し得ない。「消長盛衰」と「調和」により保たれる「自然の摂理」なのです。》

《「いいですか?」この「一方が存在しなければ、もう一方も存在し得ない」と言うのが「ミソ」です。これ、逆に考えれば、「一方が存在するとき、必ずもう一方も存在し得る」となります。》

『もし、あなたの「周りの集団」が「陰の場合」や「陽の場合」、自分も「陰の雰囲気」や「陽の雰囲気」を出して、その場に「紛らす」ように振舞っていませんか?』

「それが、もう「間違い」なのです」それが「集団帰属欲」です。でもそこには最終的には「調和」は無いのです。

《「真逆に成ってこそ」あなたの「存在価値」は生まれるのです。》

《周りが「陰」であればあなたは「陽」、周りが「陽」であればあなたは「陰」、「足りない要素」を「満たして」こそ、あなたの「存在価値」が生まれ、そこには「必要」という「依存」が生まれます。》

大事なのは、あなたの「独自性」の「確保」です。

「身を紛らす、集団に溶け込ます」これらの「保守的行為」は「令和の時代」には逆に「格差の底辺」に陥る「リスク」をもたらします。皆んなに従って「そうなりたくない」のであれば「独自性」を追求する「姿勢」を持ってください。

《あらゆる意味で「千人」「万人」「百万人」に一人の「貴重な存在」になれば、きっと「生き延びる」ことが出来ますよ。》