「氣」の力は遠隔レッスンで簡単に「ピリピリ」と分かりますよ、体感されるのが早いでしょう。
今回は、何かと今「ご質問」の多い「遠隔レッスン」について、その「あらまし」と「きっかけ」「効能」「効果」について、改めてお答えしたいと思います。
「氣塾」は今年で「9年」来年には「10年目」を迎えますが、発足当初の「2011年」より「遠隔レッスン」を中心に「生徒さん、弟子達」に受けて頂いております。
《「遠隔レッスン」とは「携帯スマホ、スカイプ」等を使用して、距離の離れた「遠隔地」においても「互いの意識」を繋げて、「氣の修行」を進めていく「技術」の一つです。》
今では、当たり前感もある「遠隔」での「レッスン」ですが、実は当初は私は「遠隔」での「レッスン」を拒否していたりしました。その理由は、やはり「行」を進めるに当たって、私が師匠と行なっていた様な「一対一」で膝をつき合わせての「口伝と施術」に「こだわり」が有ったからなのです。「修行」とは互いの「人生」に「大きな影響」を与えるものですから、やはり互いの「人となり」が大切だという思いが大きく、頭の硬かった当時は「会ったことも無い人」と「行」をする事自体に少なからずの「抵抗」が有ったのが正直なところです。
そんな「個人セッション主義」の私が、何故「遠隔レッスン」をする事になったのか?と言えば、理由は単純で、当時は私の弟が「氣塾」の「受付、フロントマン」をしておりましたが、生徒さんからの「ニーズ、リクエスト」が「きっかけ」でした。有り難いことに「氣塾」は発足した当初から「東京」の生徒さんが一番多く、沖縄九州から北海道、日本全土からわざわざ当時の「大阪」まで私の「施術」を受けに訪れて頂いていましたがその中で、
《とある「九州の方」が「仕事」の都合上、どうしても今九州を離れる訳にはいかない、一度「テスト」でも良いから「遠隔」でレッスンを受けれないものでしょうか?》
と頼まれまして「では、テストですよ」という事で、「スカイプ」を使用してレッスンをやってみたところ、「これが、良く分かるのです!」「見えるのです!」
そして、お相手にも「氣」を充分に「飛ばせる」のを確認することが出来たのです。「お師匠」からは、その様な事が「出来る」とは聞いていましたが、正直、私には「青天の霹靂」だったのを憶えています。その「氣塾」発足当初の出来事をきっかけに、「氣塾」は今でも「日本全国」そして「アメリカ、イギリス、シンガポール」等「海外」の「生徒さん、弟子達」と「繋いで」遠隔レッスンをさせて頂いている次第なのです。これは、それをやっている本人である私が「時代の進化」を感じて驚いている、というのが「本当の所」なのです。
「2011年」当時「スカイプ」を使った「遠隔レッスン」の「思いのほか見える」という「効能」の発見は驚きでしたが、そもそもその「練習」は考えれば「修行」の中にふんだんに盛り込まれていました。「遠隔レッスン」の「基本概念」とは、こういうことです。我々の「古式マスターヨーガ」には「トンレン行法」という「中心行法」が代々存在します。
《「トンレン行法」とは「氣を養生」した一人ないし二人で向かい合い、互いに「手を出して」呼吸と共に互いの「氣」を「循環」させ、相手の「氣」を読み、相手に「良い影響」を与えるものです。》
これは「最初期段階」では「互いに手を出して」行ないますが「次の段階」では「手を出さずに」、更に次の段階では、「壁を挟んで」行ない、更にその次の段階では「距離を設けて」行なっていきます。
《これ、本来は「氣」ですから「距離」には「関係の無い」ものなのですが、逆に「やり手側」の精神内に有る「距離が有ると飛ばないのでは?」という「先入観」を「段階的に取り除く」為にこの様な「カリキュラム」となっているのです。》
これは、実践的な「太極武術」では「中心套路」としての「推手套路=すいしゅとうろ」が同じ「意味役目」となります。「相手の氣」を読み、動作の「虚実」を感じ取る
《「聴経=ちょうけい」を養う実践的な訓練となります。不思議なもので、この「トンレン」や「聴経」を鍛えていると、「人の氣質」そのものが「データバンク化」されて
いきます。》
人の「性格個性」というものは「気の波の形」「気質」により現れますが、やはり「同じ気質」を持つ人の場合、同じような「気質」同じような「性格」になるものですから、この「気質」を感じるだけで、相手の性格について、ほぼ「9割9分」見切ることが可能になるのです。
ただし、これは決して「特殊な能力」ではなく、鍛えれば「かなり使える能力」になるのです。それは長年の「職人が持つ勘」がそれに当たりますが。例えば「田舎を離れて都会に暮らす子供の異変を母親が察知する能力」でもあり「奥さんが旦那さんの浮気を察知する能力」「双子の子供の片割れが事故や災難に遭った際に察知する能力」「虫の知らせ」とも言える能力、全て「同じ能力」だと言えます。
《つまり、他の人から「何でそう思ったの?」と聞かれても「いや、何となく」としか「答えようがない」物事ですが、当人にとっては「確信が有る」ような物事だと言えます。》
これも「古式マスターヨーガ」においては「ユジュ」であり、仏教においては「般若」と表現される「能力」となります。
では、何故その様な能力が「身につく」のでしょうか?
《「氣塾」では「遠隔レッスン」によって「気力」が身に着き、「遠隔地」においても「トンレン行法」により「相手の今の気の状態」「気質」を「読み取る」ことが可能になるのです。》
では、具体的に何故、その様な能力が「身に着く」ことになるのでしょうか?それは、一言で言えば「見えないからこそ」身に着くものです。もし、あなたの大切な人が何処か遠くに離れる必要があって、その旅先から「電話」が有った場合、おなたは電話で「喋り」ながらも「相手の今の気持ち、心持ち」や「状況」を少しでも「知ろうとし」尚且つ「脳裏」に想像する事でしょう。本当に「心の通じる仲」の人なら「何で分かるの?」と言うような事にも「気付ける」ことも有る筈なのです。
《人の「想像力」は「距離と時間」を「超える能力」を持ちます。》
つまり「心から知りたい!」と思うから知ることが可能になる、それが「互い」であれば尚更「力を持つ」、これは
《「コール・アンド・レスポンス」呼べば答えるという「氣」の性質によるものです。》
「遠隔レッスン」とは言っていますが、実は単純に「呼吸」の「練習」をしているだけではなく「気力の移植」「気質の向上」「気の読み取り」等、実際にはかなり複雑な物事の「やり取り」が行われているのです。でも、その元になるものとは、やはり「互いの心」、
《「会わない、見えない」からこそ「見える」ものが有り、理解出来る事実が有ります。それは遠距離においても「意識を合わせた、お互い」に生じます。その中に生まれる「確信」、それこそが「心眼」というものです。》
実際、私が「遠隔レッスン」の中で「見ている」ものとは、その時の「気力」「器量=気量」「精神の状態、安定度」そして「今の肉体の状態」「病変、痛み、疲れ、こり」等を距離が離れていても「見ています」。「何故分かるのか?」「そう言えるのか?」と聞かれますと、
《互いに「氣」を「循環」させる事によって、具体的に、その相手の「精神状態」「肉体の痛み」から「疲れ」又は「チャクラの状態」が「こちらの、精神や肉体に「再現されるから」だと言えます。》
つまり、仮に「あなた」の「肩がこって」いれば、こちらの「肩までこってしまう」から、単純明快に分かる訳です。
こうした「遠隔レッスン」を続けていれば「生徒さん」の方も「その能力」が身に付いてきます。全ては「微細な感覚」として「キャッチ」しますから、意識は落として、「感覚は研ぎ澄ます」必要がありますが、これも正しく「修行」を積んでいけば、そんなに「難しいこと」ではないのです。
実際には「遠隔技術」というもの自体もかなり太古から存在しています。「古代インド」においてはこのブログでも既にお馴染み「ポーガ・ナタル」、彼は後に「中国」に渡り「ボーヤン=老子」と名乗る事になりますが、優れた「古代南インド」に「12000年前」から伝わる「シッダ医学」の使い手でしたが、伝説によると、
《ある夜「ギャーナ」の「師匠」である「カランギ・ナタル」から「お前は中国に渡り、シッダの技術を広めなさい!」という遠く離れた地に住む「師匠」からの「遠隔メッセージ」を受け取り、中国に渡り「外丹」をもたらす事になったのです。》
師匠の「カランギ・ナタル」弟子の「ポーガ・ナタル」どちらも「ギャーナヨーガ」の使い手であり、既に「肉体の変容」が可能であったと言われています。よって「遠隔」による「トンレン」の「やり取り」にしても当然「可能」であったと思われます。この様に「口伝直伝」を主とする「昔ながら」の「伝承の世界」においては、昔から前もって「師弟の間」で決めた「月や星の位置」を元にした夜に「遠隔地」にて「近況や司令、指示」を含めた「メッセージ」のやり取りが行われていたということで、その「技術」は「正当流派」においては、脈々と受け継がれているのです。
方や「中国」において「遠隔技術」は我々の「仙道、仙術」「内丹法」においては「陽神=ようじん」の技術として伝わっております。「陽神」とは「何か?」とよく聞かれますが
《「陽神」とは「良く練られた」「氣質の高い」「陽の気」だと言えます。これを「養生」可能なのが「内丹法」です。》
これには、まず「陰の気=水」を大量に持つ必要があります。
その「陰の気=水」を「丹田の炉」で「火にかけて」煮詰めていきます。
《例えば「水」で「小豆」を煮詰めていきますと、粘り気が出てきて「ぜんざい」になり、更に煮詰めると、「濃縮」が進んで、やがては「あんこ」になりますが、これは全生命から発せられる「霧状の陰の気=精」が集まって「水」すなわち「液体」になり、それが「粘り」が出て、「ゲル状」になり、やがては「あんこ」ですから「個体」になる、という、「物質変容」の流れと同じです。》
この「良質」な濃縮された「氣」を「丹薬」と言い「陽神」と言うのですが、大前提として「氣」の性質として基本的に「この世の気は陰の気」であり「あの世の気は陽の気」となります、つまり「あの世の気」と言うことは「この世の気」と比べて「より、高次元で物理的影響を受けない」のですから「マスター」さえしてしまえば、「距離や時間」の概念は関係なくなります。時に「どれくらい修行を積めば、陽神を得ることが出来ますか?」と聞かれますが、そこまでの「行程」を考えますと「個人差」はありますが、やはり「氣塾」の「最短」のスピードで進んでも「7~8年」は考えて頂きたいと思います。
でも、それだけの「時間」を費やしても、人生に活きる時を考えると「それだけの価値」は有るものだと言えるのです、それは「技芸」ですからね。「氣」を体験してみれば、すぐ分かります。「体験」して頂くのが手っ取り早いと言えます。皆様も是非、「氣塾」の「遠隔レッスン」を受けてみてください。