心を「放置」しないでください。心は今の「あなたそのもの」なのです。「あなた」の心の主人はあくまで「あなた」なのに、何故そんなにあなたの「思い通り」にはならないのでしょうか?
それは「あなた」がその心を「放置」しているからなのです。「ならばどうすべきなのでしょう?」
《「自分の心の状態」にもっと「関心」を持ちましょう。毎週毎日毎朝の「自分の心」に対して「元気にしてる?」と尋ねて、その健康の具合を観察する事から始めるのです。》
そして「嫌な気持ち」が有れば「愚痴を聞いたり」「要求が有れば」その出来る可能性を考えたり、とにかく「自分の心」にも少しは「寄り添って」「心の健康」に付いて共に考えてあげるのです。
全てはそこから始まります。
「普通の人達」は「自分の心」を「放置し過ぎ」なのです。「怒る事」が起これば「怒る」に任せて「冷めるまで放置」。「悲しい事」が起きれば、またその「悲しさ」が収まるまで「放置」全てを「日にち薬」に任せてしまいます。
日々のお仕事の「忙しさ」にかまけて、「ストレス」にまみれて「我慢を重ねる心」さえ放置しているから、「あなたの心」はすっかり拗ねてしまい、もうあなたの言うことを聞かなくなるのです。
《そうして「放置」を続けて「調子」を崩して「病んで」しまい、その心が凍り付いたのが、「鬱」や「自律神経失調症」なのです。》
「鬱」や「自律神経失調症」になってから「氣塾」に来られる方はけっこうおられますが、
《一度凍り付いた「心を溶かす」のには結構時間が必要となります。》
凍り付いているのですから「頑張れ!」なんて励ましは通用しませんし「禁句」とも言えます。
《そもそも「自律神経」とは、自分の意識では操作が出来ないものなのです。それに唯一「アクセス可能」なのは「呼吸法だけ」なのです。》
だから「氣塾」では時間を掛けて「呼吸法」でもって「氣=心の力」を着けて回復を目指すのですが、その道のりは「二つ進んで一つ後退」これの「繰り返し」なのです。一度「拗ねて、へそを曲げた心」は簡単には機嫌を戻してはくれませんよ。だから、そこまで行かない様に「自分の心の状態」にもっと「関心」を持って日々の「自分の心」に対して「元気にしてる?」と尋ねて、その健康の具合観察する事から始めていきましょう。
相変わらずの「健康ブーム」ですよね?本当に自分の周りの人を見てみても、大半の人達が何らかの「健康の為になる何か」を実践しています。
でも気付いている方もおられると思いますが、そんな「健康法実践者」の方に限って、身体の何処かが悪かったり、病んでいたりするもので、
《「お師匠」が言う通り「イケてる人間は何でも食う!」これに尽きるのではないでしょうか?》
更に言えば「身体の健康」も大切ですが「心の健康」の方も同じく考えて頂きたいと思います。
そんな「あなた」が「自分の心の健康」にこれから少しでも気を使うのなら《先ずは日々の「心の状態」を「元気か?」と関心を持ちましょう。》
これが前回のお話でした。では、その次はどうするべきか?と言いますと《「自分の心」の「お世話」をしましょう。》となります。
《あなたが各種の「健康法」を実践していて健康であったとしても、あなたの「気持ち」が「堕ちて」いたり「凹んで」いたりしたら、何も出来ないのです。それは肉体と精神は繋がっているからです。そうならない為には「心の健康の為に栄養」「やる気、モチベーション」を維持する事をしましょう。》
《「自分の心」の「世話」をする》
「やり甲斐」の有る仕事に従事して、週末には別の「楽しみ」が待っている。これは誰にとっても理想的な「ライフスタイル」だと言えますよね?
でも、現実的に仕事の中ではその「忙しさ」に忙殺されていたり、仕事には時折「困難」も付き纏います。更には「人間関係」での悩みを抱えている人も多いですよね?
《つまり「仕事=ストレス」という図式は現代人にとっては「無視」が出来ない問題なのです。私はこの「ストレス」が「テクノロジーの進化の副作用」であり、そろそろ人の持てる「許容量」の「限界に近付いている」のではないか?と危惧をしているのです。》
《ならば、我々は皆さんが好きな「身体の健康法」と同様に「精神=心の健康法」においても積極的にストレスに対する「防御法」として身に付けているべきなのではないか?と考えます。》
月曜日から金曜日まで仕事に従事すれば、かなりの「ストレス的モヤモヤ」は蓄積されます。せめて「週末ぐらい」はそこから「心を解放」して、「楽にしてあげる」という「ご褒美」を自分に与えてあげれば「精神=心」も「機嫌を損ねる」事も無く、健康のバランスを保てるということです。
「では、その為には何が良いのか?」となります。
「深く考える必要なんてありません!」それは、あなたの「心が喜ぶ」事です。
《「自分の心」の「世話」をする(続き)》
月曜日から金曜日まで、仕事で「ストレス」にまみれた心に、せめて週末には「喜ぶこと」をしてあげる事により「精神=心」は健康を保ってくれます。
もちろん我々の実践する様な「呼吸法」や「瞑想法」「ヨーガ」などは「精神を強化して安定に導く」訳ですから、とても効果的で実践的だとは言えますが、
《ここは一つ「難しく考えかないで」もっと単純に「あなたが喜ぶ」ことをやれば良いのです。》
身体を動かすことが好きな人なら「スポーツ」でも「サイクリング」でも良いでしょう。「非日常」が好きなら「小旅行」から「隣町の散策」でも良いのです。更に言えば「誰もが美味しい物を食べることが嫌な人はいない」訳ですから、週末くらいは「甘いもの名店巡り」とか「グルメ」に走れば良いのではないですか?
《皆さんは、既に大人なのですから、子供とは違って、そんなに「我慢」をしなくても良いのです。》
それは「自己責任の範囲内」で分かりますよね?
《そうして「心の健康」の為に「世話」をすれば、また「次のご褒美」に向けて「心」は健康に動いてくれますし、この事により「ストレスは分解解消」されます。》
《「あなた」と「あなたの心」の「信頼関係」》
そして、ここからが肝心です。毎週末に与えられる「ご褒美」によって「満たされて、幸せ」になった「惚けた状態の心」を「そのまま」にしておくのではなく、次の「やるべき事」にしっかりと望める様に「さあ!頑張ろう」と《具体的に次の「命令」をする必要があるのです。》
良いですか?「具体的に命令する」ことが大切です。
「飴と鞭」ではありませんが、これを「繰り返す」事により「精神=心」は「鍛えられて強くなる」のです。「ストレス」に対して週末に「ご褒美」を与るまでは、普通の人達でも良くある事ですが、
《その後の「幸せ感」を放置するだけでは、次の「ストレス」により、その「幸せ感」が「先細りする」だけとなりますから、やがて「ご褒美の効果」は薄れますし、満足できなくなりますから、次に要求する「ご褒美」もエスカレートして行きます。》
つまり、これも「放置と同じ」なのです。
「あなた」が「自分の心」を今より「強く」して、あなたの命令に対して従うように「手懐ける」為には「世話」をした後には「命令」しなければいけないのです。
《「嫌なこと」が有った後には「ご褒美」を、そして「正しく導く」為に「具体的な命令」を、それによって始めて「あなた」の「心」は「あなた」を「信用します」》
「分かりますか?」
《「あなた」の「心」は未だ「あなた」の事を、「信用していない」のです。》
「気にかけて」「世話」をして「命令」する。それらは「あなたの心」との「信頼関係」を結ぶことに繋がるのです。
《本当の「メンタルヘルス」とは「乗馬」と同じ》
「ストレス」を与えて「我慢」を続けてばかりいたら、やがて「あなたの心」は「へそを曲げる」事になり、あなたの言うことを聞いてはくれなくなります。「鞭」だけでは駄目で「飴」もあげなくてはいけませんよね?でも、それだけでも駄目で「飴」をあげた後には「正しく命令」をしなければいけません。これは「正しく導く為の命令」です。普通の人の「精神」は「放置」をしっぱなしですから、どう扱われているのかの「信頼」も無く「あなたの心」は「あなた」を「信用していない」のです。だからあなたの言うことを聞かないのも当然ですよね?
《そこで、あなたが「あなたの心」と「信頼関係」を結び、言うことを聞いてもらおうと思うのであれば、》
「一つ目、気に掛ける」
普段から自分の「心の状態」に関心を持ち「気に掛ける」。
「二つ目、世話をする」
負荷ばかり掛けずに「飴と鞭」週末には「心が喜ぶもの」を与えてモチベーションを保つ。
「三つ目、正しく命令をする」
自分の為になる「命令」をする、主人の命令に従う事が正しい、と「心に信頼」してもらえる様に、一つ一つ丁寧に考えて、やるべき事を「命令」をする。
「気付きましたか?」これらは「乗馬、馬術」と同じなのですよ。つまり「あなたの心」とはなかなかあなたの言うことを聞いてくれない「暴れ馬」と同じ事なのです。最初から言うことを聞いてくる「馬」なんて、そう居る訳はなく、誰でも「乗馬」を始めて「馬」に言うことを聞いてもらうなら、普段から「気に掛けて」今日は元気?と声をかけて、ブラッシングをしてあげたり、餌をあげたり「世話をして」その上で「命令を明確に出す」事をしなければ、思い通りにはならないのです。
《つまり、何でも「慣れ親しむ」事が大切なのです》
そもそも「ヨーガ」の目的もそこに有ります。
「呼吸法」も「気の養生法」も全てはその為です。
《「あなたの心」は「あなたが主人」なのですから、それを「放置」する事は「だらし無い」事なのです。しっかりと「心」と「慣れ親しんで」その「健康」を保ちましょう。》
「氣塾」でお待ちしております。