解説
解説
世の中には諸説ありますが、下記は実際に氣を発生させたり、チャクラを回しながら、実証を重ねた上での氣塾独自の見解となっております。
氣について
「氣」とは万物に宿りますが、主として「生き物」が強力に放つ「生命エネルギー」です。
「氣」の元となる微細なエネルギー「精、精気」は「草花」や「森林」、土の中の「微生物」からも出ており、我々「人間」は、その「収集器」でもある「1番チャクラ」により集めて、体内に取り込んでいます。「精」は「気脈」を通じて「2番チャクラ」に送り込まれ、そこで「精製」「圧縮」されることにより「生命エネルギー」である「氣」として、使用出来るようになるのです。「氣」は身体の「健康」を維持するのに「不可欠」です。「氣」は身体に「病変」が発生すると、それを「治す」為に集まります。「氣」は集中、収束すると、人の「神経系」に作用する為、それが「痛み」となります。
また、その状態が長期に渡り「慢性化」しますと、「新鮮」な「流れ」が維持出来なくなり、言わゆる「気が滞る」という状態になるのです。
ですから「空気」や「水」「血液」と同様に「新鮮」な「流れ」を復元し、それを維持することが大変に「重要」となります。
「氣」は「身体」と共に「精神」にも「直結」しています。日本語には「氣」は細かく「表現」されており、「気持ち」というのは「氣の持ち様」を示しています。
落ち込んでいれば「気が沈み」、逆に興奮し過ぎると「気が上がる」。「氣」の「持ち様」が悪いから「気持ちが悪い」等々、表現はバラエティに富んでいますが、全て精神に関する「氣」の状態を正確に表したものです。草花や自然に在る「循環系」の中の「精、精気」は「感情」を持たない為に非常に「滑らか」ですが、人の「氣」は「感情」を持つ為に「波」を打っています。この「氣」に「今の心」、「感情」が乗ったものを「念」と言います。
人は「氣」に「心」を「乗せる」事により「圧倒的」に「力」として「増幅」することが出来るのです。
「生命」すなわち《身体、精神、氣》は、絶えず繋がっており、自然な「循環」により「健全さ」が保たれています。何れか一つが「不調」をきたすと、連鎖的に「不調」になり全ての活動が「沈む」のです。
その逆で「氣」とは「技術」により「強化」する事が可能であり、「氣」の「強化」は「肉体」と「精神」の強化に繋がります。「精神」の「強化」は、その人の「心」を強くし「態度」を変えます。「態度」が変われば「行動」も変わります。「行動」が変われば「習慣」も変わります。「習慣」が変われば「人格」が変わり、「人格」が変われば「運命」が変わる。「運命」が変われば「人生」が変わる。
要するに「氣」の強化とは「生き方」、そして「人生」の「制御」に繋がっていくのです。
その為、今から三千年以上の太古より、インド、中国において、我々の「先達」により、「氣」の《開発、強化、制御》の為の「秘術」が、研究開発されてきました。
インドの「ヨーガ」、中国の「練功法」は「氣」を操る「技術」の「集大成」として、何世代にも渡り受け継がれてきました。
「氣塾」において「伝授」される「古式マスターヨーガ」「武当派太極内丹法」は「氣」の《開発、強化、制御》に「特化」した「技術」です。他の「間接的」な手法とは異なり、「最短」で「確実」な「氣」の「体得」を可能としております。
「氣」をまとい「氣」を操る「術=すべ」を是非、体感してください!
気脈について
「気脈」とは
「氣」の流れる通り道を中国では「気脈」と言います。方や、インドではサンスクリット語で「ナーディ」と呼ばれています。全気脈の総称として「内丹」では、「正経、奇経八脈」と称します。
ここからは、「ヨーガ」と「内丹法」両方の要素を含めて「解説」しますと、胴体の前後を流れる主経管前正中線を「任脈=ウマ」、後正中線を「督脈=アバドゥーティ」それらを螺旋状につなぐ左右管を「キャンマ、ロマ」この左右管は「帯脈」に通じます。また「内丹」では頭部の主経管を「衝脈」と呼びます。
「気脈」はこれらの「主経管」から体表に向かって、「毛細血管状」に無数に伸びており、7000本有ると言われています。
また「氣」の発生器である、7つの「チャクラ」は、この「任脈」の上に存在し、縦の「任脈」から「T字」に前に出た「管」の中に「円錐状」に収まっており、「気脈」内の「氣」の「圧力」が加わる事により、「風車」の様に「回り」、「氣」を発生させ、身体の内と外に「循環」を形成しています。
「マスターヨーガ」や「内丹法」の「技法」は「氣」の圧力を上げ、「内圧」により、「気脈」を「広げ」、大量の「氣」を扱う事を可能にするのです。
「気脈の詰まり」とは
「気脈の詰まり」に関してもインドと中国、ほぼ同じ考えと認識を持っています。基本的に「大人」の「気脈」は「詰まって」おり、逆に幼少期の子供の「気脈」は「詰まっていません」。
何故でしょう?
そもそも「あの世」において使っている「氣」を「先天の氣」と言います。一切の「苦」や「疑い」の無い、「純粋、無垢」な本気しか無い「陽の氣」です。これを持って我々は「この世」に降りて生まれ出るのです。この「先天の氣」は胎児や、幼少期において、母親の存在無くしては誰もが生きていけませんから、母親の「健康を守る」為に役立っており、幼少期には大量に「発散」しています。
やがて、4~5歳頃より「自我」が芽生え「記憶」が発生します。「記憶」というものは、例えば、「お父さん、お母さんに○○してもらった」または、「お父さん、お母さんに○○された」という様に、「自己基点」の「記憶」ですから「エゴ」なのです。
「気脈」はこの「エゴ=自我」により徐々に詰まります。
大きくなるにつれて「詰まり」は増えてしまいますので、「子供同士」の純粋な「循環」や、子供特有の「不可思議」な感覚は失われていき、「言葉」が上手になるのと、引き換えに「特殊感覚」は鈍り、無条件に信じる事を辞め、世の全てに「疑い」を持つようになります。
男女の差が生まれる頃には「先天の氣」は失われ、それと引き換えに「後天の氣」すなわち「陰の氣」を使うようになるのですが、この「疑い」も含めて、「詰まる」ことが必要なのは「この世」は「善悪混合」であり、必ずしも正しい事が通るとは限らない「不条理」もある世界です。
「疑う」ことを知らない「純粋、無垢」な精神のままでは「魂」が「ギズついて」しまいます。ですから「気脈」の「詰まり」とは不浄な「大人の社会」に出る為の「準備」でもある訳なのです。
チャクラについて
チャクラとは?(その役割りと効能)
体内に主に7つある「生命力=氣」の「エネルギーセンター」です。
自然に溢れる、不活性の「気」の元になる「精、精気」を収集、「圧縮」「活性化」することにより「生命力=氣」を発生させる機能を持ちます。また、修行により各チャクラに「氣」を通し「増幅」させたり、「氣」を「凝縮」する、いわゆる「練る」ことも可能としています。
「チャクラ」はサンスクリット語で「車輪」を意味します。
各チャクラは、人体の各機能と精神に「直結」しており、それぞれのチャクラに特徴や役割があります。我々はそれを「呼吸法」により「回す(活性化させる)」ことによって、その特徴や役割が目覚め、「力」が発揮されます。
チャクラは胴体に1番から5番、頭部に6番と7番があり、1番から5番までは「パーソナル」、自己の身体面の健康と精神面の健全を支えており、6番、7番は自己以外のあらゆる「人」や「物事」に関わる現象を「この世、あの世」の境界面、すなわち物理法則を超えて「禅、瞑想」により、「知覚」「察知」する機能を備えております。「氣塾」ではこれらの全チャクラを短時間で開発する「技能」を「伝授」しております。
1番チャクラ(尾骶骨、脊椎の下、会陰)の効能
一番基本的で、人が生きる為の最低限の基部、地より不活性の「陰の気」を収集する、誰もが作動しているチャクラです。
1番を使用しての瞑想法は何をおいても「早朝の瞑想」が、お薦めです。早朝、日が登ると共に地面からは一斉に「生気」が立ち昇ります。そして、朝の空気と入り混じり空中を舞います。
鳥たちが最も活発に活動する時間帯。家内でも可能ですが、ここはやはり、ベランダや外に出て、簡単で粗雑な木の椅子に座って、ユックリ空気を吸いましょう!下から上へ「サワサワ」と登る「気」をお尻と手と体全体で感じて下さい。よどんだ体内の「気」も、サラサラした「気」に一気にチャージしてくれます。
太極の地、中国、そしてインドにおいても、何故早朝の時間を大事に「行」をこなすのかを理解する事が出来ます。
その効能は、人の生命力を増加させ、生きる根本を支えます。
「だから、人間は生きられる」その為のチャクラであり瞑想法です。
2番チャクラ(ヘソの下約7センチ、丹田、下丹田)の効能
「丹」とは本来は、外丹術の硫化水銀を表しますが、内丹術では「根性」「曲げ無い心」「めげ無い心」等、強い意思を表します。
「腹が座る」「腹が決まる」丹田とは太い精神を支える為の「気力」を養ってくれます。更に高度な技術を修得したとしても、2番チャクラは絶えず「氣」の発生の中心にあります。
ですから、錬丹術の呼吸法により鍛える事によって精神、肉体共に大きく影響し、変化させて行きます。また、その為には「正しい」呼吸法を必要とし、「周辺の気脈の詰まりが無い」、「チャクラの錆び付きが無い」等の条件をクリアーしないと、正確に作動しない様になっています。
ただし条件をクリアーすると呼吸法と共に丹田からは、溢れる様な「氣」が吹き出し、「氣」の内圧で体全体を満たしてくれる程パワフルになります。
健康においては「内臓」の動きを支え、精神を強固に保つ、何億もの人達が、その国に伝わる様々な手法で、その恩恵を目指し、その恩恵に預かる、幅の広い効能を持ちます。
3番チャクラ(へその上約7センチ、太陽神経叢)の効能
このチャクラから引き出される効能は、自己の精神そのものです。
その精神の中でも最も表面的な個性を司り、起こる物事に対して、瞬間的に対応する個性、例えば物事に対して「イライラせっかち」「ゆっくりオットリ」等個性をコントロールしています。
具体的に3番を呼吸法により使用すると、一定期間、真逆の性格になったりします。
「イライラ」しやすい人が「オットリ」したり「真面目」が「不真面目」に、極端な性格は、真逆の極端になります。
これによりどうなるのか?、起こる物事に対してそれまで「ひとつ」しか無かった反応に、真逆の性格を体得する事により、始めて「第三者」的に考えた上で反応する事ができる様になります。
また、これは様々な応用が可能で、突発的な感情の起伏が生じた際に、普通はその感情に翻弄されるがままの状態ですが、3番チャクラを作動させる事により、真逆の感情の「波」を発生させて、感情を「中和」させる事を可能にさせるのです。
現代の複雑なシチュエーションに生きる人達にとって、3番チャクラの効能は、最も注目すべき働きを内包しています。
第4チャクラ(みぞおち、鳩尾)の効能
ハート・チャクラとの名前から、様々な本でも位置的に誤解を生む事が多いチャクラですが、正確にはみぞおち部から、上に約7センチの正中線上の範囲内に位置しています。
4番チャクラは「魂の座」とも呼ばれていて、皆さんの「魂」は、そこに座っており「人の思いの中心地」として、そこから思いは、発せられます。
確認してみてください! 胸が騒ぐ、胸が痛い、胸がワクワクする、そして「ため息」をつく時、そこの場所に様々な違和感を感じる事がある筈です。そこにストレスが長期間掛かると、直ぐ裏にある胃腸に「潰瘍」が発生してしまいます。
人の中の中心にあり、一番身近にあるのに、思い通りにならない「思い」と、各エネルギーセンターの中の「中心」としての大事な働き、その両方を司っているのです。
それは、4番チャクラ単独で「想い」を相手に飛ばす事も可能としますし、3番チャクラで発生した「逆の感情」は、4番チャクラに入る事によって「中和」されるシステムになっています。
更にはその中に在る「今世での設計図」にアクセスする事によって、自身の「宿命」を垣間見る事を可能にします。センサーとしての機能を引き出す事も出来ますので、その場所、その人が「どの様な状態」にあるのか?物事の「虚実」を見切る事も、このチャクラの効能にあります。
行法の中でも6番、7番のチャクラを稼働させる際の起動中継点として、大変重要な働きをしています。
ここまでを読んで頂いても、お解りの通り、自己の精神を何とか制しようとした時、最低でも4番迄のチャクラをコントロール出来ないと、ままなら無い事が理解出来る事と思います。
人の思いの起点、人の人生の起点として、その行動を左右する、大きな意思決定はここを中心に全て決められます。
という事は、ここに人の人生の大きな可能性が、秘められているのです。
5番チャクラ(咽頭、喉元)の効能
第5のチャクラは、咽頭から喉元にかけての甲状腺の対応部分に位置しています。3番チャクラが表面的、反応的な精神を司るのに対し、5番は更に「長期間」の精神と反応、すなわち「生き方」を司っています。
チャクラ開発の行法においては、6番、7番チャクラ、頭部に有る「霊性」の強いチャクラに進むのに当たっての登竜門の役割を果たしており、5番を整えないと6番、7番へは進めません。
これは現在だけでなく「過去」の負の「生き方」の整理、「恨みつらみ」や「わだかまり」を高い「気力」から出る精神的な「ゆとり」を利用して、この場で「解消」する必要があるからです。「氣」の力が大きくなる時、「良い心、悪い心」どちらも大きくなります。
6番、7番は他の人、周囲への「影響力」を強くまといますから、自己を制御出来ない者は、5番を通過出来ないという「壁」として人には予め「仕組まれて」いるとされています。
「生き方」ですから、人の「転機」には4番の「魂」と共に連動し、新たな「生き方」を導き出す能力を秘めています。
ここ迄、1~5番チャクラの「効能」とシステムをダイジェストで明記して参りました。
これらはあくまで「単独」での効能を示しています。我々はこれらを「単独」でも使用しますし、「組み合わせ」でも使用します。でも、十分に練達していない、方々の場合は、単独使用は無理ですし、4番チャクラを「安定」して使用する場合1~3番チャクラまでが協力して始めて4番チャクラは安定した稼働を現してくれます。すなわち「上位」のチャクラを稼働させる為には「下位」のチャクラによる「力」の下支えが必要で、この下支えが有って、始めて安定した運用が可能になるのです。
1番から5番までのチャクラは「パーソナル」、すなわち「自己」にまつわる「精神、身体」を制御し整える為の「ステージ」となり、ここ迄をクリアした者が6番、7番の「霊性」を帯びたチャクラの開発、すなわち「この世」と「あの世」の狭間に関わる物事を「理解」し「経験」するステージに進むことが出来るのです。
6番チャクラ(額)の効能
「第3の目」と呼ばれるチャクラです。人の「全六感」に通じています。「この世」の物理法則を超えて機能する「力」を持っている為、そのエネルギー量も5番までと比較しても「桁が」変わります。下位の全チャクラの下支えによって安定した稼働が可能です。
このチャクラの覚醒により五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)は必然的に研ぎ澄まされます。それに合わせて、「第六感」言わゆる「勘」が「確信的」に発達します。
「物理法則」を超える機能は、4番の「魂」に内包されている「過去生」や「今世での設計図」、他の魂との「約束」等にもアクセスする事が可能となります。ただし、これらはその人の「転機」をきっかけとする場合が多く、通常においては「過去生」の「バグ」、すなわち「断片」に触れる場合の方が多く見受けられます。
6番は頭部に有って、大量の気力を発生する為、意識集中により、必然的に意識レベルは降下します。我々はこの力を利用することにより「変性意識」に降り、本格的な「瞑想」を可能にします。上記の効能は副産物的に発生します。ただし6番の情報だけでは「映像、音声」の情報のみとなる為に、それを見る「意味」までは、理解する事が出来ないようになっているのです。
7番チャクラ(頭頂部より約3センチ後ろ、百会)の効能
7番チャクラは「王冠のチャクラ」とも呼ばれます。
これも、よく「頭頂部」との表記が多いのですが、実際には「頭頂部」より約3センチ程後ろに位置しています。体内に置ける最上位のチャクラで6番チャクラよりも更に「桁が上がり」ます。その為「覚醒」させれば最も「霊性」が高く、「この世」と「あの世」のあらゆる「理=ことわり」を理解する為に必要な機能を持つチャクラです。この機能は「禅定」を繰り返す事により活性化します。
また、修行の過程においては6番の次に開発するのですが、本来7番チャクラは6番チャクラと密接に連携するように出来ており、7番チャクラが機能することにより6番チャクラで見る「過去生」や言わゆる「ビジョン」に対しての「意味合い」を知ることが可能となるのです。頭部において6番チャクラ以上の「気力」を使用することになるので、頭部における「氣」と「気脈」の内圧が、かなり上昇することになります。その為に7番の「蓋」を開けての「循環」による「内圧コントロール」が大変「重要」になります。内圧を放置すると頭痛や精神障害を招く場合もあります。その場合、西洋医学での療法では改善されない場合が多々ありますので、7番チャクラの開発に関してはこの道の技術に習熟し、教授が可能な段階までを正しく修めた「師」による指導を受けて頂くことをお勧めします。
これら7つのチャクラにまつわる「位置」や「効能」に関して、他の「ヨーガの教本」「解説書」とは異なる表記があると思われますが、これらは「他の人」へのチャクラの開発をする「施術」の技能を持つ、「古式マスターヨーガ」の三千年以上の歴史の中で、長年の歳月を掛けて、繰り返し「確認」されている事実です。その「正確性」に関してはもちろん個人差がある世界ではありますが、唯一、日本において「古式マスターヨーガ」の「技術」を正当に受け継ぐ「氣塾」では、既に多数の実績を積み上げ、更なる実証に邁進しております。これからご参加される皆様も「氣塾」での「マスターヨーガ」の実力を、是非ご確認ください。
ヨーガについて
「ヨーガ」とは、今から約三千年前より、古代インドにおいて、「研究、開発」されてきた「呼吸法」による、「氣」の「制御法」であり、「氣」のコントロールを通して「精神、身体」を「制御」する「技術」です。
「ヨーガ」とはサンスクリット語で「くびき」を意味しています。「くびき」とは「馬、牛」等の家畜に着ける、牽引用の器具です。
「ヨーガ」とはそれらと同じように、自分の「精神」に「くびき」を掛けて、自分の思う「方向」に「精神」を「制御」する為の「方法」として名付けられたのです。
「ヨーガ」には様々な「精神制御法」としての高度な「瞑想法」が存在します。
現代では、その種類も一説では、インド一国だけでも一万以上存在すると言われており、最古の「アーユルヴェーダの瞑想法」は、今から6000年前、7000年前とも言われています。
紀元前25世紀インダス文明のモヘンジョダロ遺跡には「座法」を組み「瞑想」をする人物の「印章」や「置物」等が発見されています。
「アーユルヴェーダ」の中で発見された「瞑想」そして「チャクラ」「プラーナ(気)」等の人に宿るシステムは、「ヨーガ」として、専門的に研究が進み、自己の心身を制御する方法として洗練されていきます。
「ヨーガ」の行法は「瞑想法」そのものであり、数千年かけて様々な形に分化しますが、その一つ一つは全く異なるアプローチをとります。
伝統的な「ヨーガ」を大きく大別しますと以下の「六つ」に分けることが出来ますので、簡単に解説いたします。
ハタ・ヨーガ
アーサナ(姿勢、ポーズ)を使用し、呼吸法、印(ムトラ)を持つ。スポーツや様々な方面で取り入れられており、現代的でポピュラーな行法、でも本来はもっと強力な呼吸法を持ち(失神寸前まで止息)を伴ったりする。
ラージャ・ヨーガ
(王のヨーガ)とも言われ、神を感じる為のヨーガとも言われます。アーサナ、呼吸法、だけで無く「八支則」と言う行動規範、道徳を含むヨーガ哲学を持つ本格的なヨーガ行法、アシュターンガ・ヨーガとも呼ばれ、現代のパワー・ヨーガの元になったものです。
パクティ・ヨーガ
神への愛と、グル、他の人への愛を対象にする、最も信仰的なヨーガ、実在したと言われる「クリシュナ」が開祖とされ、悟りと解脱を目指す。
現代の新興宗教の下敷きとなったと言えるヨーガ行法。
ギャーナ・ヨーガ
洗練された理論的思考と分析を重ねる事により「思考循環」を起こさせ、真我への探求と絶対的「真理」を探求するヨーガ。「思考循環」はマスターヨーガでも重要な行であり「三宝」の一つ「識神」を育てる為には必要不可欠です。
マントラ・ヨーガ
(ガヤトリー、マハー、ハレー・クシュリナ)等のマントラを使用する「アクシュラ音」、音=振動により発動させる呪文ヨーガ。
師が弟子に渡す個別のパーソナル・マントラを鍵として持つ、言わば仏教の開祖「仏陀」はこの行法により「開眼」し、般若心経の最後の「ガーテー、ガーテー」に始まる一文は、サンスクリットによる呪文そのものである。現在においても様々な形で研究されており、数珠を使用するジャパ・ヨーガ等、多くの派生を生み、今尚増えている。
クンダリニー・ヨーガ
ムラ・ダーラ(1番)に眠る、不活性なクンダリニーを呼吸法により覚醒させ、身体の気脈とチャクラを活性化させ「氣」をコントロールする事により、深い瞑想を発生させ「悟り」を目指す。大きな「氣」を使用する為、熟達した、然るべき「師」に就いて実践しないと、いけないヨーガで、古式マスターヨーガはこれの源流に位置しています。
この行法はチベット密教の「トゥンモ」、中国の仙術「内丹法」など各国において独自の進化を果たし、日本においても密教と共に伝来し「陰陽道」「修験道」として一時代を作りました。
どうですか?これら大別した伝統的ヨーガは、それぞれが全く違うベクトルから「悟り」の境地に向かって進む「行法」という事が解ると思います。これらは5000年以上の時を掛けて、延べ数億の先達により研究された高度な修行体系と数多くの「瞑想行法」を持ち「行」を支える支柱になる「哲学」を持っています。
その「ヨーガ哲学」もやがて仏教等の信仰の下敷きになります。世界で数万存在する瞑想法の半分以上がインドの「アーユルヴェーダ」の瞑想法を起点とした「ヨーガ」の技法を元にしたものです。
内丹とは
《内丹術》と調べて頂くと、『一般的には、天地万物の構成要素である「気」を養うことで、自己の身中に神秘的な霊薬である「内丹」を作り、身心を変容させて、道(タオ)との合一を目指す、性命を内側から鍛練する中国の伝統的「修行体系」である。』とあります。 これでは普通の人には分かりません。
今回の「テーマ」は「内丹法」が持たらす「陽の氣」とは「どの様なものなのか?」なぜ「内丹法」なのか?について、実際のところを「解説」してまいりましょう。
「内丹法」は内丹という言葉が、南北朝時代の天台宗第二祖南岳慧思の『立誓願文』には「神丹の薬を足らしめて、この願いを修(おさ)め、外丹の力を藉(か)りて、内丹を修めん」とあり、これの前身となる「外丹」が物理的に丹を作る「技術」ですが、これに取って代わるように歴史の表舞台に登場していますので、今より約三千年ほど昔に端を発しています。まさに中国が時の権力者により「統一」されようとしている「時代」。 「道教」の身体技法を元に「神仙思想」を取り込み、「禅宗」と「儒家」の思想と実践を融合させた、「修行体系」として、「哲学体系」を含めて練り合わされました。万物の「気」の運行原理としての、「陰陽五行」は「人」にも「内在」されているとして、「気」を凝集・活性化させることにより、「身心」をあるぺき様態に「戻そう」とする「修行体系」として、研究、開発されてきたのです。人の「心身」を本来の、あるべき様相に「戻す」とあります。人の「氣」には「陰陽」の「両極」があり、「陽の氣」は「先天の氣」とも呼ばれます。 そもそも、我々が「あの世」に居る時は、「身体」という物を持たず「魂」だけの状態にあります。「魂」は「燃える」と言う表現をしますが、「この世」においても人が純粋に、他の「意図」も無く「本気」になって、「心」を「燃やす」時の「熱気」や「湯気」が「陽の氣」です。「あの世」では、この「陽の氣」で持って「意思疎通」をしています。「あの世」とは、ある意味「汚れた」「この世」とは違い、一切の「苦痛」や「利害」も有りませんから、何も「意図」する必要も無く「疑う」必要も無い、「純粋、無垢」な「心持ち」でいられる訳で、全てが「本気」の世界です。思っただけで相手に「伝わり」ますから「隠し事」も出来ない世界でもあります。「内丹法」では、この「陽の氣」に「包まれた」状態こそ「人」の本来「あるべき様相」であると考えているのです。