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「何で自分ばっかり」は「選ばれた人」の証

《「何で自分ばっかり」「困難」があるのだろう?》

《「何で自分ばっかり」色々なことが起きて》

《「何で自分ばっかり」「悩まされる」のだろう?》

私にも一時期、この「何で自分ばっかり」という時期がありました。「必死のパッチ」で目の前の「問題」をやっつけたと思ったら、また「次の問題」。それをまたあれこれの「手を尽くして」やっつけたと思ったら、また「新たな問題」。「問題」が「山積み」の状態であれば、最初から「しょうがないな」と「腹をくくり」手の付けられるものから、一つ一つ「解決」をして行けばまた何とかなるものの、

《この「何で自分ばっかり」という「問題」の場合、その大半は、現在まで苦労して積み上げた「仕事」や「人間関係」を「根底」から「揺るがす」ような性質を持つものが、大半だったりする訳です。》

苦労して積み上げた「仕事」や「人間関係」を「根底」から「揺るがし」「崩す」ような「困難」ですから、その人にとっては「途轍もない、恐怖」と「不安」が「襲う」のです。

それは「全てを失う恐怖感」だと言えます。だから、「まあ、何とかなるだろ」とか「取り敢えず、様子を見る」なんて「悠長」な事を言える状態には、到底なれません。

「何か、やるべき事は無いか?」「何か、画期的な打つ手はないか?」、その「ショックの連続」で頭が真っ白になって  しまい、数日「呆然」と「なす手」も見つからず立ち尽くす事になるかもしれません。

これは「大の大人の男」であっても「泣きそうになる」くらいに「ヘビー」なもので、若かったら泣いてしまうかもしれません。でもそれは本当に「何で自分ばっかり」だからなのです。他の周りの「友人」は「平常」で「普通」の事しか起きないのに、そんな大きな「恐怖感」を覚える物事が「自分にばかり」起きるからです。

《でも、男なら泣いてはいけません。》
ましてや「経営者」や「リーダー」、「大黒柱」なら尚更「泣いていては、話になりません。」

《なぜなら、それは「試されている」からなのです。だから、「踏ん張らなければ」いけない時なのです。》

《何を「試されているのか?」と言えば、あなたが「集まる人」なのか?ということです。》

《何故なら「選ばれた人」には、必ずその様な「経験」をしているものなのです。》

後から「考えれば、分かります」「何で自分ばっかり」は「選ばれた人」の「証拠」だと言えるのです。だから「普通の人達」には「経験のない」ことなのです。

《「何で自分ばっかり」困難がおこるのだろう?》

これは、どんな「スケール」の「経営者」「リーダー」であっても「経験」している「現象」です。それは

《これまで「自分」が「築き上げて」きた「アレコレ」を「根底」から「揺さぶり」「ひっくり返す」程の「威力」を持つ「困難」です。》

事実、これを「甘く」見ていると「全て」を「失い」ます。創業何十年の「お店」や「会社」でも、何年かに一度は「根底揺さぶり」は起きるものですが、ここで「対応」を「間違える」と、そこを「起点」に坂道を「転げ落ちる」ように落ちて、「頼りに」していたものは儚く「崩れて分解」します。ですから

《「数多の転機」の中でも「断続」する「根底揺さぶり」の「転機」は、最も「警戒」が必要で、またその対処も慎重な「先読み」と「厄災」の「塞き止め」が必要な物事だと言えます。》

《この「現象」は、まさに「回転」が緩くなった「皿回し」のように「進行」します。》

《ちゃんと「回っている筈だ」と思っていた「皿」の回転が一斉に「遅くなり」、一つの「皿」が「落ちる」事から始まり、気がつけば、その他の「皿」も「連続」して一斉に「揺らぐ」ように「現象」は進みます。》

当然、「経営者」は「焦りながら」も残りの「皿」に「回転」を加える事になるのですが、そこで《本来、自身の持つ「公私」の「範囲内」の全てを「観察」「管理」「掌握」を「緩める」と、その「観察」を緩めた物事に、また「崩れ」が生じたりするのです。この恐ろしいところは「仕事」だけではなく「家族」も含めた「全て」に「起こり得る」から「恐ろしい」のです。》

だから、絶対「油断」は禁物なのです。

その人の「技量」と「器量」が問われる「試され」とは、その様な性質を持つのです。

《「何で自分ばっかり」困難がおこるのだろう?》

そんな「根底から」それまで「積み上げできた全て」を「ひっくり返す」ような「困難」。今考えれば「25歳」で「独立」してから、私も「20回、30回」と「乗り越えて来た」ような気がします。「経営者」にとっては、最も「背筋が凍る」ような「話し」ですが、「経営者」「会社」には「付きもの」だと言える事なの  です。それでも「其れなりの報酬」や、それを支えてくれる「社員」や「仲間達」との「繋がり」が有るからこそ、それに「耐えていける、力」となる訳で、
《それを何度も「乗り越える」事によって「いっぱしの経営者」に成れると思っておいた方が良いと思います。》

でも、そもそも何でその「自分ばっかりの困難」が起きるのか?と言いますと、

《その自分の扱ったり、行なう「商品」なり「サービス」、「仕事」なりが、完成度的に「未完成」だからなのです。》

《それを「世間」では広く「脆弱性の表れ」と表現されます。》

「完成度」において低い「商品」や「サービス」は、その 「仕事」「ビジネス」において「土台」とは成り得ません。

仮に「一時的」には売れたとしても、より「完成度の高い」「二番手、三番手」が市場に出れば、あっという間に「ひっくり返される」このになるでしょう。そんなもの「売れた」としても「数ヶ月」の「場繋ぎ」にしか過ぎず、決して「あなた」の「ビジネス」の「土台」とは成り得ないのです。

考えてみてください。
《誰でも、最初は「目先」の「利益」となる「数字」や「お金」「売り上げ」だけを「追います」。》

でもこれだけでも「最初の壁」と言える「困難」でして
《どんな「レベル」の「商品、サービス」であっても、それを「数字、売り上げ」に「変えられる人」は「百人」居て、僅かに「一人が二人」の確率となります。》

その他の人達は皆「素人レベル」の「売り上げ」しか  叩けず、大体が「一年、二年」の間に「リタイア」します。

《つまりは、最も「基本」となる「営業力」が「不足」しているということです。》

《この、基本的な「営業力」こそが最初の「足場固め」となります。》

あらゆる「仕事」「商売」「ビジネス」とは「売りもの」としての「商品」「サービス」そして「売る力」となる    「マンパワー」としての「販売力」、その「両輪」が「正しく揃って」こそ「売れる力」となります。

《つまり「何で自分ばっかり」困難がおきるのか?の「根本的な理由」とは、その「両輪の力」が「未成熟」「不完全」により起こるのであり、その「自分ばっかり」には「困難」を起こす「必然性」があるのです。》

「起こるべくして起こる」ということです。よって、「自分ばっかりにおこる困難」を「回避」する為には、あらゆる要素において「足場固め」は「不可避」となります。

《「経営者」にとって、定期的な「足場の踏み固め」は「必須」となるのです。》

誰もが「経営者」となって、その「仕事、商売」又は「サービス」にまともな「営業力」が    付くのには、 「1年から2年」は掛かります。つまり「経営者」の最初に現れる「困難の壁」とは「営業力の壁」です。

《新人「経営者」のほぼ「90%以上」は、この「営業力」が付かずに「最初の1年~2年」で諦めて「リタイア」してしまいます。》

ですから、ここまで進めただけでもある程度に「選ばれた」と思っても良いのです。そして、ここを「クリア」した「経営者達」は「次のステージ」に進みます。

《「次の壁」とは「商品力」です。ある程度「売れて」数字を叩き出すだけでも「凄い」のですが、最初からオリジナルで「儲け率の良い商品」なんて「扱える」訳はありませんから、その「商品」を「真似」されたりして、簡単にその「売り上げ」の「根幹」になる「要素」は「崩れる」ことになったりします。》

これは大抵、ヒット的に「売り上げ」を作れてから約「一年内」に「襲ってくる」傾向にある「困難の壁」です。
どんな「経営者」であっても「売れるモノ」には誰でもが「飛び付き」「真似をしたい」訳ですから、 その時どんなに「確実」な「商品」だと思えたとしても、余程の事がない限りそれは「簡単に覆される」運命にあったりするのです。

《一つの「商品」が売れているだけでは、その「仕事」はとても「脆弱」だと言えます。よって、その「経営者」はその「脆弱性」から「二つ目三つ目」の「売り上げの柱」を作る「必要性」に迫られます。》

これを「整える」のには、結構な「年数」を必要としますし非常に「複雑な工程」を要します。先ずは最初の「売れる商品」を安定して販売できる「商品供給力」の「ノウハウ」の「確立」が必要になります。「商品生産力」と「販売力」により、それは「成り立つ」訳ですが、「出来た!」と思って「油断」をしていると、またその「皿」は「揺れ」を 起こして、崩れそうな局面を招くのです。ですからここでも小まめな「チェック」と「足場固め」は必要なのです。

《これは「どの業界」にでも言える事ですが、この「一つ目の売れる商品」の「ノウハウ」が「確立」されてからの「二つ目三つ目」への「挑戦」が始まります。》

「一つ目の売れる商品」の「ノウハウ確立」が「不十分」なままで「二つ目」とか「三つ目」までを「狙おうと」して「一つ目」を含めてもいい根底的に全てが崩れて「売り上げ不振」に陥ってしまう。なんて話しはザラで、これまで腐る程聞いてきました。これを読む「経営者の卵」の方には気を付けて頂きたいと思います。
「経営者」にとって「小まめな足場固め」は非常に大切です。

《ならば、どの地点にまで来れば「足場固め」はしなくても「良くなるのか?」と聞かれた事も有りましたが「ここで終わり」なんて「無い」のです。》

何故なら、そうして「あれこれ」と手を打って「営業」を続けている間に「5年10年」なんて「月日」もあっという間に過ぎてしまうものですが、「5年10年」の月日が流れると「一つの時代」も「変わる」のです。つまり「買って頂ける」「消費者」が「一巡して」、マーケットの「ニーズ」自体が 「違うもの」に「変化」してしまうからです。つまり、

《どこまでも「足場固め」とは「続くもの」だと言えます。》
手練れの「経営者」の誰もが言いますから「そういうもの」だと言えます。

《「何で自分ばっかり」「困難」がおきるのだろう?》
でも、その「何で自分ばっかり」とは「選ばれた予兆」かもしれないのです。

《何故なら「自分ばっかり」とは「人の上に立つ者」にとっては「定め」とも言えるからです。》

《それを「悲観的」に「ドツボにハマった」とするか、その「困難」を「怒り」に変えて、そこから「抜け出す力」にして「ピンチ」を「チャンス」の「きっかけ」と出来るかは「あなた次第」となります。》

私はこれまで、全ての「困難」を真正面から受け止めて「怒り」を「変化のエネルギー」に変換して、全てを「成長」の為の「エネルギー」にして来ました。誰もがこんな時「変化」を嫌いますが、後から考えると大抵そこに「次の5年.10年」を支えてくれる「チャンス」が隠されているものなのです。だから「逃げれば」そこで「即おしまい」となります。

よく考えてみてください。
全ては「あなた」が未だ「不完全」だから、物事は起きているのだ、と言えます。

その人にばっかり、あれこれの「困難が寄せられる」と言うことは、その人は「集まる人」ということを表します。
「良い事も悪い事も」その人に集められ、その人はそれらの物事を「より良く」する為に「四苦八苦」する事になります

《でも、その「行為と力」により、その人は「多くの人達」を助けて、その「行為と力)により「多くの人達」から「担ぎ上げられる」ことになります。》

《結局「何で自分ばっかり」ということは、その人は「担ぎ上げられる人」であるということを「暗示」しているのです。》

誰もが、そこを「乗り越えて」、大きな「器」を得て、一人前の「経営者」に成り、そして「大物」に成っていくのです。もちろん、そこで「逃げる」も「挑む」もその人の人生の「選択の自由」ではありますが、敢えて私が言うなら「無条件で挑みなさい!何とかなるから」と必ず言います。

そこで「逃げる」と言うことは「自分自身の期待」を裏切り、サポートして助けてくれた「周囲の繋がり」の「信用と期待」をも裏切ることになりますから、自由ではありますが「相応の覚悟」を決めた上で「逃げる」必要があります。

「逃げて」良い影響がある訳はありませんからね。
何故なら「挑んだ」方が最終的には「遥かに楽」で「何かを得る」のは「確実」だと言えるからです。

細かくは言いませんが、その「償い」には「相応の月日」を要します。「自分」に対してと「周囲」に対しての「償い」です。それは確実に「数年単位」で訪れるのです。

《「何で自分ばっかり」「困難」がおきるのだろう?》

これは決して「悪いこと」ではないのです。

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